双極の波は あヲの波 創作とか診療日記とか

吐き出せない思いで窒息しないために

エッセイ 死者を悼む詩

わたしには 詩人の知人がいる

最近、新しく出版された詩集を

送って下さった

その方の詩は

ことば使いは柔らかいが

死者を悼む詩が多く

その詩が持つ感情の強さに圧倒される

 

死を悼む詩と言えば、

わたしにとっては

宮沢賢治『永訣の朝』

 

あの天を衝く慟哭のような詩は

核に強い感情がないと書けない

 

こうやって書いているのは

自分にはこういう詩は書けないと

思うからだ

 

いや 宮沢賢治レベルの ということではくて

感情が表出するような

詩は書けないという意味だ

 

最近、仲間内で詩の出し合いっこのような遊びがあり

書いてみたところ

自分で、自分の書いたものには

感情がないなぁとつくづく思った

 

暗喩を使う技法は好きだが

それでは直接的に伝えたい感情が伝わりにくい

特に  その時にあった「お題」の核にあったのが

「怒り」の感情だったので

感情がほとばしるような表現にならない自分のことばに

もどかしい思いがした

 

伝わらないよ と思った

 

それで 自分の日常をよくよく考えてみたら

感情が大きく上下する前に

気力が落ち込んでしまって

感情が出せてないんじゃないかと

思い至った

感情を動かすことを諦めてしまってるというか

 

それでも 心の中では

この1年以上の間に

多くの人が亡くなったことに

とても傷ついている

ニュースで世界を知れば知るほど

傷つくことが多くて

自分と世界との

距離の取り方がよくわからないでいる

 

この感情を自分でなかったことにしたまま

星とか 月とか 愛とか

ペラペラと口にすることは出来ない

 

だから 自分の実感を出発点にする

その一点だけは 自分への約束として

誠実であろうと決めた

 

微かに動く感情を

拾い上げることで

自分の心を取り戻せれば

そう願いながら

訥々と溢れてくることばを

書きつけている