9月の診察日記
9月は、とにかく夜眠れなかった。
朝6時ごろまで眠れない時が多く
それは、眠剤を飲んでいなくても
その時間になれば眠れるので、
まったく、薬が効いている気がしないと言った。
それで、昼間に寝てしまう。
天気が悪かったせいもあって、
ほとんど外にも出られなかった。
多分、主治医が想像している以上に
いろんなことが出来てない、という話で、
ご飯もほとんど作れない、とか
洗濯掃除も、毎日はしない、とか、
説明した。
それさえ、出来てない。
本当にしんどい。
細かく活動量を説明したのは、
前回、なんとなく、主治医と私の間に、
理解の差があるように感じたからだ。
掃除と洗濯を1日でやるとどっと疲れてしまうので、
別々の日にやることにしている。
ご飯も、お総裁を買ってくることが多いし、
作っても、肉と野菜を炒めるだけ、とか、
手抜きになる。
それより、栄養に偏りが出る。
主治医は、「あ~、」とちょっと眉をひそめて聴いていたが、
「涼しくなったら、眠れるんじゃないですか、
今日は、薬はこのままにしましょう」と言うことになった。
眠剤を追加で欲しかったが、
聞いてみたら、どうしても辛かったら、
また来てください、と言われた。
次回は、自立支援の手続きの更新もしなくては。
本の感想 『今日は誰にも愛されたかった』 著:谷川俊太郎 岡野大嗣 木下龍也
短歌と詩の連詩という、イレギュラーな形の作品。
最初に、連詩の順番で作品が並んでいて、その次に、お三方の「感想戦」があって、最後にもう一度、全体を通して読むような構成になっている。面白かったのは、感想戦を読んだ後で、全体を音読してみると、ひとつの詩として感じられたことだ。最初に読んだときは、意図を探り探り読んだので、そこまで俯瞰出来なかったのだけど。
それには、やはり谷川さんの最後の詩の「詩骨」ということばの存在が大きかったかなと思う。わたしには、それが背骨に思えた。全体を通したドラマツルギーのようなものと受け取った。背骨の中には脊髄がある。詩(短歌でも)としての真髄が一本全体を貫いているという印象になった。その貫き方が谷川さんらしくて、市川という人物がひょこっと時々顔を出すことで、一貫性を持たせている。
岡野さんのあとがきにもあったが、谷川さんという人は生まれながらの詩人なんだと思う。天から特別な才能を与えられたシャーマンでも、レトリックの粘土細工職人でもなく、等身大の人間なのに、ストライプのTシャツなんか着ちゃう人なのに、出てくる言葉がリリカルになっている。岡野大嗣さんと木下龍也さんの今っぽいことばも、ちゃんと受け止めて続けて行って、3人に間に、背丈の違いとか、ことばのしなやかさの違いを感じない。
タイトルになった木下さんの歌も、ひっかかりがあって好きです。良いタイトルだと思いました。そのタイトルに釣られましたが、裏切られませんでしたよ。